第1話 廃村の風
静寂な谷の奥にかつての人の温もりが... |
暦も四月になり、随分と暖かくなってきた。大阪では散り始めている桜も永源寺では満開状態。杠葉尾(ゆずりお)の橋の上で車から降りてみると、少し薄着だった私は風の冷たさを感じた。 |
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車を奥へと走らせると、やがて道路はウェットに変わり、水溜まりが増えてきた。止まっている車も段々と増えだし、すでに幾人か入川しているようだ。珍しく奈良ナンバーの車が2台止まっている。 支流へ入ろうかとも思ったが私の足はまだ先へ向いていた。そうこうしていると林道は終点になり、かつて仙境と呼ばれた廃村茨川に到着した。 杠葉尾の国道の二股から、距離にして14km。おおかた20分というところか。車は1台のみ。山歩きする人々の通り道ということもあり、静寂する雰囲気の中にも人の足跡を感じる。昨年、林道工事のためダンプがここまで入り込んでいたと聞いたが何と川を越える橋まで出来ている。しかもコンクリート造りときているどうせなら木製の方がいいのではないか。しかし何のためにこんな場所に林道を、またどこまで伸ばすのだろうか、、、私には理解できない。こんな事をするのであれば漁協に茨川へ渓魚を放流し、もう一度、鈴鹿滋賀側の渓に多くの岩魚を戻してはどうかと思う。 しかし、そんな茨川にも歴史を知っていれば、その裏側にもうひとつの足跡を感じる事ができる。 |
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一見すると想像できないかもしれないがその昔、ここに人々が暮らしていた。いわゆる、廃村である。約四百年続いたというその歴史は断片的ではあるが、色んな人々に語り継がれている。電灯もなくそこで数々の人々が外界と離れひっそりと暮らしていた。村には登山者、釣り師、猟師、行商人が度々訪れ村人は快く歓迎したという。茶屋川の最上流であるがゆえ雪も相当深いであろう。 茶屋川で捕れる岩魚、鹿や猪の肉を常食とし、君が畑へは現在のノタノ坂を越えて、また郵便物や物資の供給のためイセ谷(治田峠)を越えて伊勢の地へと何キロもある山道を歩いていたのである。そんな茨川の生活も昭和29年に現茨川林道ができた事によって一気に崩れ去ったという。 外界とのしきりが取れ、便が良くなったと同時に人の「欲」が垣間見た。車が入ってくる事により一見、経済が高騰したかのように思えたがそれは束の間、長くは続かなかった。昭和34年に台風による被害で林道の橋が崩れ完全に林道は塞がれ、また集落には元の生活が戻ったのだが徐々に皆が離村し始め、昭和40年に完全に廃村と化した。今でさえ簡単に車で入り込める場所であるが車であってもけっこうな距離であるので本当にこんなところによく集落を築いたものと改めて感心する。残された家屋、、石段、村の小さな神社が今もなお当時の雰囲気を想像させる。 |
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時計は6:30を指していた。 うーん、やはり寒い。 少し重ね着をし歩く支度をして私は源流を目指して歩き出した。平坦で拓けた明るい渓である。 水は薄いブルー色に透きとおり、ウグイスの声が左右からフェードインし、 |
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心地の良い空間を作りだしてくれている。 | ||||||||||||||
水量は少な目で、チャラ瀬である。餌では到底、釣りにならない。しかし、久しぶりに来た茨川の風に溶け込むように私はゆっくりと空気を味わい、自然と同化しながら歩いた。次第に体も温まり少し冷たい風とが調和して非常に気持ちいい。 20分くらい歩くと小さな枝の流れ込みに出る。大木にはハイカーのための緑のテープが巻いてありここから渓相も源流らしい渓へと変化し釣り師を魅惑させる。 とりあえず一投してみようと竿を取り出し、深みのある落ち込みに釣り糸を垂れてみた。しかし、アタリは無い。「まぁ、この辺はダメだろう、、」また竿をたたみ、景色を楽しむ事にした。 相変わらず小鳥のさえずりが聞こえ、ところどころに小支流があり、大岩の上をほとばしる清流の音が聞こえる。これだけでも十分な満足感である。 しかし、かなり倒木があり岩場も多いので、けっこう歩き辛い。「おっと、危ない!」うかうかしてると滑って転びそうだ。浮き石を確認しながらしっかりと歩いていた矢先、石のコケに足を滑らせ 左腕から「バシャン!!」 渓の流れに横たわってしまい腕全体を水に浸してしまった。 身を切る冷たさである。 しかも写真を撮りながら歩いていたのでビクの中にカメラを入れており、カメラまで濡れているではないか。幸いカメラは撥水ケースに入れていたので中までは浸透しておらず、カメラは無事だった。初釣りと言う事で体が馴染んでないのだろう、毎年一発目の日は必ず滑っているような気がする。 |
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気を取り直し倒木をくぐりながら遡行していると前から釣り人と出くわした。軽く挨拶して「どこまで行かれたのですか?」と問いかけると「いや、今日初めてなもんでよく分からないんで戻ってきたんです、もう一人入っていますよ、先の二股で何か右の方へ行かれました」と。「谷筋へ行かれたのですね」と軽い会話で失礼した。「谷へ入ったのか、私もその谷へ行く予定だったのだが、、、」 かつて真の谷の入り口とも言える三筋の滝辺りは岩魚が猛烈にいたらしい。しかし三重県から比較的山越えしやすいせいか、この境で毒流しがかなり多発し岩魚は激減したという。確かに茶屋川の本流筋は林道から川まで高低差も無く入渓しやすく、また奥地という事で密漁が絶えなかったようだ。現に私もシーズンオフの季節に○○県の冷凍車が止まっていたと聞いた事がある。 |
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本流では釣り人が何人か竿を出していた。これだけ水が澄んでいては本流の雨女魚はスレスレだろう。さぁ、ここを真剣に詰めるとするか。支谷の入り口に立った私は足の疲れはどこへ行ったのやら、そんな事は忘れ去っていた。と言うのもここは以前から何度も入渓しようと思っていた支谷だったが、まだ一度も入った事のない場所だったのだ。どんな渓相が待っているのか、久しぶりに心が躍る。 |
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堰堤の上部に期待を込めて下りて見ると水は涸れ寸前。 「ほんまに流れ、あるんかいな...」不安な気持ちに追い打ちを掛けるように前方にまた堰堤が。「.....」 一気に疲れがどっと押し寄せてくる。なぜこんなところに堰堤をたくさん作るのだろう。平成6年建工のようだ。林道は付いていないので、どこからかと辺りを見回すと右手の山腹が削り取られ大きく山抜けしている状態。また山腹の頂上部にはブルドーザーが見え、まだ防砂工事の途中ようにも思える。 水量が少しマシになったのでここはイケるだろうと思うポイントを攻めてみるが無反応。気が付くと堰堤の下に来ていた。右の細い岩場に寄りかかり堰堤を覗き込むが水が少ない上に浅く導水管が低い位置から一本通っているだけでその周りは流れも無い。 煙草に火を付け一服していると小鳥が目の前の木枝に飛んできた。何やら銜えている様子でうれしそうに何度もかわいい鳴き声を発している。「ええの〜、楽しそうで、わしは疲れが出てきたわ。」そんな事を考えながら何気なしに堰堤下を見た瞬間、フッと一瞬黒い影が横切った。ん? イワナやな。 |
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疲れも吹っ飛び、私は即座に竿を伸してえさを送り込んだ。 「どこに行った、さっきの奴」すると透きとおる水の中に導水管から流れ出るラインに沿って、えさを待っているではないか、おそらく岩魚のようだ。 私は一度引き上げたえさをその少し前方に投げ入れた。流れ出して「1,2,3」と数えたくらいか、「ビビッ!」食った! それは素晴らしい魚体をした7寸の岩魚であった。 |
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とりあえず一尾でも釣れれば、来た甲斐があるというもので、その堰堤を越えるため竿をたたもうと思っていた矢先、川の中を見ると、まだいるではないか。 しかも水面すれすれを飛び交う、ふ化した水生昆虫を何度も何度も小さくライズして、パクパクと食べている。 "遊んでくれるらしい" 私はシズを外し、釣り糸だけを堰堤壁に叩き付け、自然にゆっくりと水面まで落としてみた。すると「スッー」とえさのところに寄って来る... 「来た来た」 「よし!」 水面まで餌を追い掛けてくる仕草は普段えさ釣りには無い醍醐味であり、私も興奮する。テンカラ、フライはこれが癖になるというのは分かる気がする。 しかし食わえるというところで素知らぬ顔で引き返してしまう。うーん、やはりえさは厳しいか、、、シズを使い、沈めてもみたが、やはり食わない。 「今日はこれくらいにしといたろう」撃沈されているにもかからわず、吉本新喜劇のような事をつぶやきながら堰堤を高巻こうと両側を見回してみる。左はひどい山抜けになっているので、どうも右巻きが良さそうな感じがする。 右の急斜面を登り始めたのはいいが、これがまた相当厳しい。下から見上げた時、大した事はなくても実際登ってみると「エッ?」と思う事はよくあることである。 何度も滑りそうになり、不意に掴んだ木には、とげがお見舞いしてくれるわで、苦労の連続。しかも左山腹を見ると何の事はない、簡単にトレースできるではないか、判断ミスに気付いた時はすでに遅し。 |
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やっとの思いで高巻きし上部に上がってみると、堰堤の上は渓相が一変し、右手の山腹では砂防工事のネットが張られていた。流れが一段と絞られて大きな岩場が連続し、急激に高度が上がり、もはやロッククライミングで体力の限界... また流れがひな壇の滝状態になり、それぞれの落ち込みには全く魚影は感じられない。このまま詰めると岳まで出てしまうし、足はガクガクで疲れもピークに達している事で、岩に項垂れながら腰を下ろす。ここで食事にしよう。焚き火を起こし、さきほど釣り上げた岩魚を有り難く頂く。ビールを飲んで最高のひとときである。 堰堤の上からは送電線に沿う西の尾根が素晴らしくきれいだった。しかし、また次回に来るときはもうひとつ堰堤が増え、渓相も一変しているかもしれない等と考えていると複雑な気分だった。 |
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第一話 完 | ||||||||||||||
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