第15話 隠れる谷


森との会話を慎み、美しいナメに目を止める




 先日、ある文献を探しに大阪市立中央図書館に出向いた。
 しかし便利な時代になったもので自宅に居ながらインターネットで書物の検索から貸出の有無、予約まで出来るのである。書庫在庫が豊富な事や平日の昼間という事もあってか、館内では本を片手に居眠りする人がやたらと目に付く。営業マンの安らぎの場所になっているようである。探す文献は仕事に関連するものであったのだが、ついでなのでと、つい山や釣りの本に目がいってしまう。
 私も渓を歩き始めて間もない頃は、釣りに関する本や鈴鹿の山に関する本をむさぼるように読んだものだった。特に愛知川水系の紀行文を記した書物は渓の雰囲気が頭に浮かんで、釣りに行けない時期や寝付けぬ夜に布団の中で自分の釣行を焼き付けながら読んだ記憶がある。
 中でも「岩魚幻談」(朔風社)は傑作であった。今では押入の奥に埃をかぶっている事であろうが、私は基本的にこの谷はこうで遡行図がこれでと、こういった解説書のような本はあまり好まないので好きこのんで読むと言えば紀行文的な書物である。今では、地図でさえ見る事は少なくなってしまったが、とある絵地図だけは今でも愛用している。
 鈴鹿の山々を登るハイカーの方であれば、おそらく知らぬ人は居ないであろうと思われる方に奥村光信氏がいる。40代(昭和41年から)を過ぎてから歩き始めた山行は四桁にものぼり、現在でも現役で鈴鹿の山を歩いておられるようである。現に鈴鹿の至る所の尾根筋には奥村氏が創られた道標が見られる。「なぜ山に登るのか、みんなが登る山の行動図集」と掲げられた絵地図集を創り上げた事で有名であるが、その地図は谷や山などの名称も詳しく、国土地理院が発行している地図よりもかなり分かりやすい。
 地図中には山を歩くにあたっての所要時間、目標となるポイント、危険個所の表示、エピソードなどが多彩に書き記されている。もともと設計が専門であったようで地図の正確性はもとより、そのユニークさが鈴鹿の山を行く人にとって必需品となったようである。
 「あの谷はよく岩魚が育つでな」

 渓流釣りを始めて間もない頃、永源寺の集落のある老杣からそんな事を聞いた。愛知川水系は魚影が薄くなったせいか、地元の方はあまり集落から離れた谷の奥には釣りに行かないと聞いているが、この谷は岩魚がよく育つらしく、以前は地元の方もたまに釣りに入っていたという。それも少し昔の話になるのであろう。しかし私も以前に二度ほど足を運んだが、さほど良い釣果には巡り会わなかったので今でもその実感は無いままである。
 黒尾山に突き上げる谷は全面に伐採が行われ、植林帯が多く、森林の風景の趣は無いに等しいが谷筋の渓相は支谷を多く持ち合わせ、小滝やナメが続くなかなかの美渓である。電力会社の鉄塔巡視路が付いているので歩きやすいが、黒尾山自体に登るハイカーは少なく、ほとんどが銚子ヶ口への経路として歩かれているようである。谷の水は集落の飲料水として使われている事もあり、谷の序盤には大きな
水道管が通っている。あまり入谷する人は居ないと思える隠れる谷である。

 萱尾の集落を過ぎるとダム湖のほとりにひっそりと佇ずむ大瀧神社が左手に見える。この大瀧神社もまた鈴鹿では定番の雨乞いに関わる社であり、雨乞神として付近集落の農民から参拝されていたらしい。神社内にある社歴には7月1日(瀧飛の神事)井水信仰の本源、昭和46年愛知川ダム建設に依り尊い自然と伝統と歴史は湖底深く没す。と記されている。
 鈴鹿の山々は雨乞信仰が強かったという事は以前にも少し触れたがその登拝には趣のある様々な習俗がある。雨乞岳などに登拝した村人は雨が降ってくれるよう農作物を供えて祈祷していたが、なかなか思うように雨は降らなかったようである。すると人々は竜神を怒らせて、雨を呼ぶ事を考え、山頂の池で身に付けているものを洗濯したり、また蛙、蛇、その他の動物を殺して投げ入れたり、挙げ句の果てには墓を掘り起こし人骨までも持参したらしい。しかしそれでもその村には雨は降らず、登拝の帰り道だけどしゃ降りの雨が降ったという。結局、村人は竜神の怒りを違う形でかう羽目になったとこのような言い伝えがあるらしい。
 以前、佐目に住む老杣と谷の事で言葉を交わした際、子供の頃、よく大蔵谷の奥にあるお金明神に足を運んだと聞いた事もあった。今でもお金明神には佐目から登拝する人もいるようである。一般的であった長い道程の拝坂尻、大峠、北谷尻谷、コリカキ場を越えての登拝は今や過去のものとなり、昨今は朝明から参拝していると思える。ハイカーにとってこのお金明神への取り付きにも奥村氏の標識が一役買っている。
 大瀧神社の前から延びる、巡視路から歩き出そうと思ったが植林地の中を歩き続けても、退屈な時間を過ごすだけであるので、道路から直接、谷へと下りる事にする。
 藪をかき分け、狭い谷の口に下り立つと大きな滝の濁音が聞こえてくる。この谷も永源寺ダム湖に注いでいるのだが、ダムが出来る以前は谷の口に萱尾滝という素晴らしい景勝地の五段ノ滝が構えていたようであるがダム建設とともに姿を消している。

 何でも萱尾の老杣に聞けば、ダムが出来る以前はここまでビワマスが遡上していたようで、この付近でもかなりのビワマスが捕れたという。
 ダムが建設された事によって様々な事柄が閉め出され、生活飲料という貴重な役割を残し、隠れる谷になってしまったのである。
 さて、谷筋の話に戻ろう。
谷筋に下り立てばいきなり様々な小滝が立ちはだかり、遡行が始まる。樹林に覆われ、非常に暗い世界が少しの間続く事になる。この谷は源流までひたすら高度が上がって行く急な谷筋であり、入口に構える小滝群はその性格を象徴するかのようである。両手に力を入れ、両足を踏ん張り、滝の飛沫を受けながらゆっくりと上がって行く。
 小滝を過ぎれば小さなナメや落ち込みがしばらく続く。しかし、相変わらず伐採による倒木や木くずが谷全体に散乱しており、非常に歩きづらい。これがなければ景観は言う事は無いのであるが、、、おまけに良好なポイントには上から覆い茂る渓畔林でかなり短い提灯仕掛けにしないと竿も振れない。
 とりあえずと糸を垂らしてみるが、時間が止まったかのごとく仕掛けが空でストップし、水面まで落ちて行かないのである。道糸が蜘蛛の巣に絡んで、知らぬ内に仕掛けまでが竿先に絡みたい放題であり、その度に仕掛けを巻き直す事になる。シチュエーションはハッキリ言って最悪であった。まぁ、久しぶりに来た渓であり、そう焦る事はない。そう自分に言い聞かせながら私は、また仕掛けを作り直すのであった。
 しかし、どういうワケか、肝心の渓魚が一向に掛からない。昨日も雨が降っていたはずで、水量も勿論の事、魚の活性も上昇していると思えるのだが、そう思う矢先、この谷で一番水量豊富な枝谷が右から注いでくる分岐点の小さな落ち込みで微かなアタリを感じた。
 引き上げ見ると何と10cmばかりの雨女魚であった。この渓は岩魚に加えて雨女魚も釣れる谷なのだが以前、歩いた時には序盤に少し
雨女魚を見たが、それ以降は岩魚であったので少々、驚いた。
 愛知川水系の大きな支流や大きな谷川は別として、小さな谷はほとんどが岩魚域で、雨女魚が棲息する場所はけっこう珍しい部類に入る。雨女魚の魚影は神崎川支谷が一番多いように思う。
 その後、徐々にアタリの回数も増え出すがどういうワケか今日はやけにバレてしまう事が多く、なかなかハリに上手く乗らない。バラせど同じ場所へ幾度も竿を振るが、おそらく雨女魚であろう、かけ損ねた魚は二度と掛からなかった。
 漁協はこの谷には以前、岩魚は放流していたと聞いたが雨女魚は放流はしていないはずなので、この谷の雨女魚も善意放流によるものだろうか。しかし魚影はかなり薄く感じる。
 現在、茶屋川本流と言えばアマゴの渓というイメージが定着しているが愛知川水系に始めてアマゴの姿が見られたのは今から30年ほど遡る事になる。当時の資料などによると1970年、治山工事や茨川林道工事、乱獲によって減少した渓魚を活性化させようと醒井養魚場で養殖された約1,000尾のアマゴ(琵琶湖水系在来魚ではない)を初めて茶屋川に試験的に放流したようである。
 また1972年には愛知川上流漁協により、同養魚場のアマゴを約1,000尾を茶屋川の中流域(取水堰堤より上流)に放流している。神崎川へのアマゴの放流は1980年から行われたようである。
武田恵三「愛知川上流、主として茶屋川の魚類について」 関西自然科学 
第48号9−14から参照および抜粋。




 現在、茶屋川への漁協による放流は下流域のみとされているようなので、中流、上流、源流に見られる雨女魚はそれからの自然繁殖による天然に近い形のものになる。以前に少し触れた在来岩魚に近いとされる種が本流で上がらないのは、こういう訳である。
 雨女魚が幅を利かせる段階でハイブリッド化も予想され、在来魚への追求は困難を極める一方であろう。

 谷によれば二時間ほど歩いたほぼ源流に近い場所でも雨女魚が上がる場所もある。しかし、そこで上がる岩魚は一般の種に加えて、かなり在来に近い魚体をしているものも上がるのである。今以上に雨女魚が優占種となれば岩魚の魚体も固定化されるのだろう。
 在来種という存在は非常に重要な事でもあるが、地元の団体や養魚場の主などは、その昔の様々な流れを目の当たりにして来たせいか、在来も去ることながら絶滅してはどうにもならないので豊かな自然を残していくには、とにかく増やす事を考えねばと、そう意見する者が多い印象を受ける。いずれにしても渓魚も含め、愛知川の豊かな自然を後生に伝えて行かなければならない事は確かであろう。

 また釣り人にすれば岩魚にせよ、雨女魚にせよ、様々な顔や体つきを見る事は、非常に楽しい趣のひとつである。今日の雨女魚もまたそのひとつであった。
 幾度か雨女魚をバラしてしまいながら、倒木をくぐり、少し歩くと、これまた竿の振りにくい落ち込みが目に入った。こういうポイントを丹念に探らねば、なかなか多くの渓魚とは出会えない。より一層、仕掛けを短く作り直し、相手は雨女魚ゆえに、岩魚のように無神経なアプローチでは掛かるまいと落ち込みの前で身を屈めて、糸をどう流すかイメージを掻き立てる。
 ゆっくりと気泡の中へ餌を送り込み、竿を後ろへ移動させる。底石からわずかに浮かせて静かに流す。道糸はピンと張り詰め、本当に提灯でもぶら下げているようである。流すポイントが悪かったのか、初回ではアタリはなく、鈍いアタリを感じたのは4度目であった。岩魚と雨女魚で食ったアタリの感覚も違うものといつもながらに思う。
 すかさず前へ竿をアワせると、上手くハリに乗ったようだ。ここからが面白い。一本一本、竿をたたむと雨女魚は元気良く水の中で藻掻いている。カエシなしのハリを使用しているので、道糸が更ければバレる確率も高い。このやりとりがたまらない。

 わずかな時間を楽しんで手中に飛び込んできたのは22cmほどの雨女魚であった。魚体は暗い谷筋に居たせいか、少しくすんでいたが深紅の着色斑点をちりばめる鮮やかなものに感動は高まった。
 愛知川水系の雨女魚は全般的に朱紅点、薄い紅の色をした斑点が多く、真っ赤な深紅は珍しい。これも環境のせいなのか、定かではないが久しぶりの雨女魚に顔を綻ばせ魚籠へと忍ばせた。
 水道管の延びる取水堰堤を過ぎると少し明るく拓けて小さな落ち込みが連続する渓相となる。相変わらず高度はグングンと上がって行く。落ち込みに糸を垂らすも、渓魚は留守の様子。居留守でないかと丹念に何度も探り入れるが気の精である。しかし以前に比べてかなり魚影が薄い。ようやく小滝で上がったのは、またもや雨女魚であった。着色点は相変わらず深紅色をしている。もうそろそろ岩魚域でも良いはずなのに。
 倒木を越え、時にはくぐり、また時には両岸の高台に逃げ、先へと行くと素晴らしいナメ滝に出合う。高さは5〜6mと言ったところで、さほど高くはないが奥行きは、およそ20mはあろう。左岸へはそのナメを駆け上がり、枝谷へと分岐している。少し湾曲しながら流れ出るその風景は、見ているだけで充分すぎる涼感が漂っている。

 そのナメが落ち込む溜まりへ糸を垂らすとやっとの思いで岩魚が上がった。5寸にも満たない小さな岩魚である。
 静かな流勢を両足で感じながら、ナメを上がって行く。倒木越しに小滝が待ち構え、岩魚の絶好の住処といったところ。竿を振れば岩魚が飛び出す。イメージ通りである。もうひとつなかなか良い落ち込みが現れた。

 身を屈めて静かに餌を送るとすぐさま、道糸が張り詰める、「!?」アワせが少し早かったようだ。けっこう大きかったな。もう一丁。 「クンクンッ」とアタリが来る。「よしっ!」あれれ、、、
 二度もバラしてしまうとは、、、私の腕も落ちたものである。三度目の正直とばかりに、再度、餌を送る。今度はガッチリ掛かったようだ。水面を切って飛び出したのは7寸の岩魚であった。しかし、鈍感な岩魚と言おうか簡単に釣れる魚である。

 まぁ、源流域ではこんなものであると思うが。次回はまた大きくなって遊んでくれよと、心の中で呟きながら、流れの中へ戻した。
 谷を横切る鉄塔巡視路の丸太橋で、しばしの休息を取るが右を見ても左を見ても伐採された杉林が続き、いよいよ緑の空間は満喫出来ないと実感する。少し歩くとまた美しいナメ滝が現れた。右から左へと段々に流れるナメは素晴らしい。その溜まりを覗けば二匹ほどの小さな渓魚が上流を向いて餌を待っているではないか。静かに糸を垂らすと何とまた雨女魚が上がって来た。まだ雨女魚がいるのか、、、

 しかし、これを最後にその後、岩魚も雨女魚も全く掛からなくなった。めぼしいポイントから小さな溜まりまでも丹念探っていくが、魚影もなく反応は無い。どうやら、ここより上流には渓魚はいないようである。普段、私は釣れた魚の数はあまり気にしないので数える事は無いが概ね数十匹以上は釣っている事は確かである。そのせいか今日は出会った渓魚が非常に少なく思えた。

 やがて退屈な植林帯が少し止まり、二次林が広がる風景となった。山腹の上からは山猿達の戯れる声が耳に付く。随分とハイペースで歩いたな。左右からは時折、枝谷がわずかな水を滴っており、ふと足もとを見れば白骨化した鹿の頭蓋骨が私をジロッと見つめている。
 また遡行の終了を伝えてくれているのか乗り越えようとする大岩の上をヒキガエルが飛び跳ねる。しかし、相も変わらず美しい渓相はまだ続いている。両岸が迫り来る切り立った岩溝の間を勢いよく流れる20mほどの斜滝にゆっくりと岩肌を洗いながら静かに流れるナメ。
 源流へ歩けば歩くほどに絶え間なく風情ある渓が続くのである。滝という魅力に駆られる人は多い。それは自然の中で滝の持つ不思議な力が日常では得ることの出来ない様々な光を与えてくれるからであろう。

 私はいつの間にか渓魚の事は頭から離れ、次々に現れる素晴らしい空間を追い求め、さらなる源流の奥へと岩を駆け上がって行った。
第十五話 完
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