第14話 踏み跡を求めて


水と戯れ、山人の足跡を辿る




 「やられた、、、」
書斎で竿の手入れをすべく、竿継を一本ずつ広げていた事をすっかり忘れてしまっていた。我が家にはシーズーが三匹居るのだが、その内のまだ幼いやんちゃ坊主に私が最もよく手にする源流竿の下部のキャップを見事に噛み砕かれていた。憂鬱な気分に拍車を掛けるように天候も悪く、また台風の影響で愛知川はドロ濁りの濁流化していると思える。
 しかし、まぁツイてない時はこうも重なるものか。谷筋であれば濁りも薄く、充分釣りとしては問題無いであろうと思い込み、結局、金曜日から延び延びになっていた釣り歩きは日曜日と相成った。

 日登美山荘を左折し、御池川に架かる橋の手前に駐車する。目の前の愛知川本流を見れば釣りどころか気分までも下がりそうである。
 支度を済ませ私は日本コバの登山道へと歩き始めた。この谷を歩くのも3〜4年ぶりか、久しぶりだ。釣り人は比較的少ないと思えるこの谷は日本コバへの取り付きとして一番メジャーであるため、ハイカーにはよく歩かれている。日本コバ山頂へは政所からも取り付く事が出来るが踏み跡が不明瞭なためこれは一般向きではなく、道中ひっそり佇む自然の足跡に触れる事が出来る事もあって、断然にこの谷のルートを取る人が多い。日本コバを取り巻く谷は南北ともに美渓が多いが登山用の踏み跡が付いているのはこの谷沿いだけなので第五話で歩いた谷沿いから日本コバへ登るハイカーは上級者のみである。
 かつてこの谷の麓にも藤川千軒と呼ばれた木地師の村があったらしく、谷の出合い付近には石積みの跡が多く見られる。谷はさほど長くはないが中盤まで滝が連続し、遡行を楽しませてくれる素晴らしい渓である。しかしダムを取り囲む愛知川支流のほとんどの大きな滝には不動王が奉られているところが多く、当時の宗教的な信仰の厚さを感じる場所が非常に多い。それが歴史的な足跡を形取る結果となっている。

 踏み跡に入れば、早朝の気温を感じさせない何とも湿った空気が漂っていた。鉄橋を何度か渡ると右手に春日社が見えてくる。何でも奈良の春日大社と関連があるらしい。しまった、小銭を忘れてしまった。とりあえず参拝しておこう。
 右手から聞こえる谷の瀬音はその音だけで逞しい流れを想像させるものであった。なかなかの流勢である。谷の景色に気を取られているとヒルが足もとや手の甲までも上がってきていた。これだけ湿気がムンムンとしていると先が思いやられる。
 左岸には日本コバへの踏み跡が見えるが私は仕掛けを準備し、谷筋を歩き出す事にする。さすがに台風の影響が大きかったのか、谷の流れも少し笹濁り気味であった。釣りとしては少し濁りが入ったくらいが丁度良いが、美しい渓流美を堪能するには少しばかり役不足である。
 逞しいその流れにそっと竿を振ると「ピクッ」とすかさずアタリを感じる。可愛らしい岩魚が上がってきた。少し歩かなければ岩魚も居ないかなと思っていたのだが、この豪雨で上流から流されてきたのだろうか、めぼしいポイントに糸を垂れながら歩いて行くと、コンスタントに岩魚が釣れ上がる。サイズは5寸までの極、小さな岩魚ばかりであるが、なかなか魚影は濃い。
 この谷の序盤はナメ状の小滝が連なっているのだが、ナメ滝はこの水量のせいでナメならぬ、歴とした小滝に変貌している。流れそのものに勢いを感じて、これはこれでなかなか良いものである。そして、その勢い余る滝下には深みのある淵が待ち構えている。すでに良好なポイントだらけであった。
 改めて考えると釣りの醍醐味と渓流美が満喫出来る、こうなれば言う事はない。滝下からも小さな岩魚は止まる事なく飛び出してくる。また谷筋は涼しげな冷気が漂い、木漏れ日が渓の水面に煌めきを起こしているが暑さはまったく感じない素晴らしい空間である。贅沢な空間を満喫するも、強いてわがままを言うのであれば、水深と流勢が逞しいので少し歩きづらい事くらいか。
 小岩魚と戯れながら上流へと歩いていると多段の斜滝が見えた。三段に連なった、それぞれがまずまずの釜を持つ美しい滝である。
 これほど水量が多い時は、こういった大場所に出くわすと無性にドキドキするものだ。通常の谷であればほんの小さな滴りまでも糸を垂らすのであるが今日はそれも必要ない。私はその三段に落ちる滝の釜をひとつずつじっくりと攻めてみるのであった。

 身を屈めて右から流し、左から流しと息を殺して幾度と竿を振る。じっくり粘ってみると岩魚は食って来たが、ここでも5寸を少し超える程度のものが掛かっただけであった。
 小滝の飛沫を浴びながら濡れた岩棚をヘツり、しばらく進むと二段の滝に出合う。なかなか良いポイントであるが、上から密集して生い茂る渓畔林が非常に邪魔である。四苦八苦しながらポイントを攻めるが、幾度となくオマツリ状態を余儀なくされ、その度に仕掛けが短くなっていくのであった。おそらく餌釣りを嗜む方であればご経験の事であろうが良好なポイントを目の前にして丁度いいところで仕掛けをオマツリしてしまうと特有の邪念が心の隙間に入り込み、道糸が残っていれば仕掛けを作り替えず、その先にハリを結んでしまうのである。それを繰り返していると知らずのうちに仕掛けは、超提灯仕掛けと変化している事があり、次に出合ったポイントでは使い物にならないケースがしばしばある。釣りは怠け癖が出ると上手くいなかいものである。
 普段のみずみずしい水音も豪快な渓の流勢で小鳥のさえずりもかき消されてしまい、時折、なめらかな舌先を侍らせたキツツキの声が私の耳をくすぐる程度であった。
 渓流釣りは様々なスタイルがあるが、その中でも山釣りに部類されるような山奥での釣りは自己追求的な部分が往々にしてあるように思う。餌釣りというのは元を辿れば人が生計のために魚を釣る手段であった事から、非常に原始的なものを想像させる釣りであるが、同時に疑似餌を水面へと誘い、目で見て釣るフライフィッシングやテンカラに比べて暗のイメージを持っている。
  木化け、石化けなど自分の身を岩陰に隠し、気配を殺して竿を振るのである。また主なフィールドを考えても暗い谷筋を歩く一方、後者は明るく拓けた渓を歩くといったイメージが強い。私は気分転換といった名目だけではないが心の洗濯、無になれる空間といった観点が強く、渓に取り憑かれているのだが、これは現実の世界があるが故に成り立つもので毎日明けても暮れてもこの日々が続けばその趣は無くなる事は明確である。
 奥へ奥へと谷を遡り、滝を駆け上がりするその行動に自分自身やその存在を垣間見て、無意識のうちにその自己を追求する空間の魅力や
心地良さに釣り人はその世界から抜け出せなくなるような気がしてならない。私にとって釣りにはゲーム性は無いのである。
 小滝をくぐってしばらく歩くと、谷は滝が連なる険谷へと顔を変える。この谷の核心部とも言える場所である。
 3mの滝を皮切りに滝上は8mまでの様々な滝と廊下が連続し、素晴らしい風景を醸し出す。しかし、残念な事に滝は直登は出来ず、またヘツリも不可で山腹を大きく高巻なければならないので、二つの滝を越えた場所にしか下りる事が出来無い。下りれば目の前に8mの滝が立ちはだかっているのである。
 まずは3mの滝で腰を据え、探りを入れてみた。シズを少し重めに変えて白泡の掻き立つ中へ餌を送り込む。
 「コンコンッ」 よしよし、遅れアワセや。
一呼吸置いて、グッと竿を引き上げると滝の落ち込みで竿に重みが加わり、掛かった岩魚は暴れ回りで、いい引きである。水面から飛び出してきたのは7寸の岩魚であった。少し痩せ気味だがいい色をしていた。
 その後はこれといったアタリも出ず、そのまま植林帯の山腹をトラバースし始めた。しかし、植林帯の割に踏み跡はほとんどなく、足場も悪く歩きづらいのなんの。蜘蛛の巣を顔で切りながら前進して行く。
 途中、山腹から滝上の廊下と勇ましい斜滝が見えた。盛期でなければ何とか下れない事もなさそうだが、ロープくらいは無いと少し危険であると思えた。しかし水深もけっこうなもので見れば見るほど大物が潜んで居そうな釜である。興味津々でよだれが出そうであるが、ここはひとつ冷静に判断し、先へ進んで山腹から急斜面を滑り落ちるように8m滝の目前に下り立った。
 ここもまた心を誘う滝である。美しい滝の落下は涼感を漂わせ、芸術的とも言える。リュックにたらふく忍ばせたビールを一気に飲み干し、タバコに火を付け、ゆっくりと滝の絵画を楽しむのであった。楽しみながらも私の心の中では竿を振りたい気持ちが頂点に達しており、岩に腰掛けていてもムズムズする気持ちがどんどん高まってくるのであった。

 とりあえず少し探ってみるか、私は滝下から廊下へと注がれる釜の出口にしゃがみ込んで静かに竿を振った。下半身が水に浸かっている
せいか、ひんやりとした冷たい空気が私を包む。滝の落下する勢いで、ほとばしる飛沫が偏光グラスを曇らせ、なかなか上手くポイントに
沈まない。シズを掴んで大きく手元へ引き込み、そのまま弓矢のように弾け飛ばす。底を洗うようにゆっくりと流し込むと道糸が張り詰めた。「今や!」 グンッとアワセを取るが、釣れ上がったのは小さな岩魚であった。
 私は滝の落ち口を眺めながら、その動作を何度と繰り返していた。釜には岩魚が密集しているらしく、次から次へと釣れ上がるのだが、いずれも小ぶりなサイズのものばかり。諦めかけていたその時、鈍いアタリを感じた。竿を上げるといい手応えではないか。
 踊るように私の手元へ引き寄せられたのは7寸を少し回った岩魚であった。昼食用にとも思ったが痩せた岩魚にどうも食欲は上がらず、
そのまま滝壺へとそっと返した。このサイズ止まりか、もっと大きいのが居そうなんだが、、、  滝の映像へ
 余韻を後にして私はまた山腹を登り始めた。しかし、この辺りも植林だらけである。これだけ伐採が多いと岩魚が育たないのも無理はないかもしれない。
 滋賀県の森林を分析すると自然植生(ブナ、シイ、タブ)はわずか2.5%で二次林(ミズナラ、カマツ、コナラ等)が41%らしい。自然植生は、人がほとんど手を加えてない林、二次林は伐採後に自然植生した林を指すが、それらは様々な役割を持ち備え、森という自然に欠かせない存在である事は言うまでもない。植林はスギ・ヒノキがほとんどでその植林帯には他の植物は通常見られない。生物が棲息しづらい環境であり、当然渓魚の餌となる川虫も育たず、自然を保持するバランスは様々なところで諸問題が絶えない。
 山に入り、自然と共存すれば必ず「保護」という言葉が付いて回る。これは簡単に言えばいつまでも素晴らしい空間を保ち続けてもらうために必要な事であるが、逆に言えばこれは人として当たり前の事柄である事をまず理解している必要がある。渓流釣りの世界でもスタイルや楽しみ方によって魚をキープする人もいればリリースする人も居るワケだが、釣りを全く知らない登山者から見ればその人のスタイル等、山で会っても分からず釣りは魚が少なくなるだけと考えられがちな部分もまれにある。
 確かに私の経験上でも谷に入れば釣り人の残骸らしきゴミが目立つ事は事実。しかしその反面、山の頂上などには心なきハイカーが残したゴミが山積みに残っている場所もあると聞く。
 釣り人にせよハイカーにせよ、山の中で自然との時間を共用する際に自分のスタイル以外のものに目を向ける必要があるのであろう。自分のスタイルの中から隣の垣根を覗くとアラばかり見えてくるものである。
 鈴鹿の山でもかつては非常に豊富であった山菜などの山草も乱獲や植林により、かなり激減しているようである。特に清流沿いに咲くワサビやウチョウランなどは鈴鹿にたくさん自生していたのだが
現在はなかなか目にする事は出来ない。特にウチョウラン等はマニアの間ではかなりの人気があり、商売として採取する者が多いと聞いた事がある。今では、人の目の届かぬ断崖絶壁の場所にひっそりと咲いているだけだという。結局、釣りにしても山草にしてもその場を目撃でもしない限り、なかなか見回る事など出来ずその者の良心に任せるしかないのである。
 釣りのWebサイトなどでもこういう話題に触れているサイトはやはり山釣り志向の極一部のものしかない。私は釣り人であるが登山、山菜取り、またキャンパーであろうが自然を共有する事に関しては同じなのであり、それぞれの者は他人のスタイルに矛先を向ける前にもっと考える事は別のところにあると実感する。
 核心部は谷全体の半分を超えているため、この先は大きな滝は無く、小滝がしばらく続き、谷は源流状になる。普段であれば何の変哲もない小さな落ち込みがしっかりとした小滝となって釜まで備えている。岩溝をぬうゆるやかなS字を描くナメは白泡が立ち上げ、あまり景観的には、きれいとは言えないがナメ滝は相変わらず小滝化している。

 登れる小滝はここぞとシャワークライムである。両手を岩にかけると袖の下から大量の水が体に入り込み、何とも心地良い。すでに上着はびしょ濡れであるが気にもならない。
 当然ではあるが谷の顔は変わるものだなと、関心しながらも私は竿を振るのであった。ナメ状が要める大きな淵が目に止まった。これがまた竿が非常に振りづらい。仕掛けを変えて一投した矢先、アワセに失敗して上から被さるブッシュに絡ませてしまった。
 一瞬にしてテンションが下がってしまうが、竿が振りづらい場所ほど荒らされていない確率も高い訳で、それなりの岩魚が期待できるもの。ここはゆったりと気を静めよう。気を取り直し、いざ。

 生い茂るブッシュから水面のわずかな空間に餌を送る。「目印が上下に揺れた!」これは、いい手応え。よっしゃ、8寸物や。
 諦めず、仕掛けを巻き直した甲斐があったと顔が綻ぶ。召し上がらせていただこう。えらく腹が張っているなと思って岩魚を腹を割くと、小さな沢ガニが出てきた。雑食とは言え、珍しいタイプやな、君。




 釣りの意欲は高まり、先へ行く足は一向に止まらない。小滝の落ち込みに一点を集中し、渓と同化していると徐に後ろから「釣れてますか?」と。

 「びっくりするがな、、、」思わず素に戻ってしまうではないか。誰とも遇わずと予想しているので、いきなり後ろから声を掛けられると、それはもうびっくりである。見たところ三十代前半と見える三人組であった。

 「1〜2匹しか捕らんので後はすべて放してますから8寸が一匹だけですわ」と返答すると数匹の岩魚が入ったナイロン袋を示して「私も15〜16匹上がってます」
 私の放すという言葉を返すように「別にこの谷の岩魚は全部、釣りきってもいいんですけどね〜」と促してきた。この谷の岩魚はもともと自分達が放流したものという。まぁ、善意放流は一時期は会を結成して行っていた方々も存じているし個人的には反対はしないが放流したものだから全部、釣りきってよいと、何とも重みのない言葉に呆れかえってしまった。もともと釣りのために放流するワケなので、別に否定する事柄でもないかもしれないが所詮、釣り師の考えは、この程度のものなのか、、、
 私は滝上放流しか経験はないが源流への放流はかなりの苦労が強いられると思える。したがってその苦労して放流した岩魚がずっと子孫繁栄する事を願う事にはならないのだろうか。
 そう言えば沢登りの人が後ろから上がって来ていると言ってたな、、、しかし急いで歩いても始まらない。気にせずと、私は小滝に糸を垂らして釣りに集中していた。仕掛けを巻き直そうと岩に腰掛けていると後ろから男女の二人連れが現れた。
 ヘルメットを装備し完全な沢遡行スタイルであった。二人連れは糸を結ぶ私の前を何も言わずに素通りして行った。まぁ、渓を堪能するスタイルが違うので一方的に釣り人のマナーは押しつけられない。
 するとどうだろう、私のすぐ前方にある何とも言えない小滝のポイントに胸まで浸かり、ジャブジャブと歩いて行くではないか。これには、驚いた。釣りをした事の無い者でも分かりそうな事である。沢登りと釣り人は犬猿の仲とよく耳にするが、これでは無理もないだろう。釣り人の我も度々目に付くが目の前を通り過ぎ、お構いなしに歩いて行かれた日には怒る釣り人の気持ちも分かる。確かに前方から谷を下ってきたのなら、今日は運が悪かったと諦めも付くだろうが。谷の瀬音が鳴り響き、大声を出したところで届きそうもなく、そのまま見過ごす事になったが私の釣り欲は一瞬にして消え失せた事は言うまでもない。
 試しに小滝へ竿を出すが岩魚が掛かるはずもなく、ただ振りかぶりを繰り返すだけである。一般的に渓流釣りは「釣り上がり」「追い越さず」が暗黙のもとのマナーであり、その渓(谷)に早く入った者がその谷を遡行する権利を得るワケである。これは勿論、釣り人の間だけで通用する決め事である。それにしても少し歩いてから水に浸かるなど多少の遠慮はしてほしいものである。
 余韻を残しながら私は竿をたたみ、日本コバへの踏み跡を歩き出した。この辺りは踏み跡が不明瞭であり、テープがなければ藪の中を彷徨い歩きそうである。ここから20分ほど歩くと炭焼き窯跡が点在し、それを過ぎれば石灰岩の岩場に出る。
 岩場を登ればかつて古代人の住処とされる岩屋と呼ばれる洞窟がある。以前、この谷を訪れた時に興味本位で岩屋の中へ入ったのだが、無数のコウモリが天井にぶら下がっていた。入口は三角形の小さなものであるが中はけっこう広い空間である。
 しかし、歩き出せば、この気温である、大量の汗が帽子のつばをツタって滴り落ちる。とにかく暑いの一言であった。踏み跡を行くと幾度と渡歩する小さな枝谷の滴る水を帽子で掬い、帽子を被り直すのであった。水滴が首筋から背中へと伝わり、汗ばむ体を癒してくれる。くぅー、生き返る、、、
 岩場まで歩いた私は先へ進む気も少しずつ消え失せて、また渓の流れに戻り始めた。ハイカーの方がシェルティーらしき犬を連れて川岸で休息していた。犬もよく踏み跡を歩いて来たな、、、ヒルがべったり付いているのでは?とその事が先に思い浮かんだ。
「お気を付けて」と軽く言葉を交わし、私は踏み跡へと歩き出す。
 植林帯を過ぎて小さな枝谷を越える。確かこの辺りの右岸の山腹を上がると突き当たって大岩が顔を出し、ヒョウの穴と呼ばれる洞窟があると聞いた。三角形の入口の奥は深い水が溜まっているという。何の穴かは不明のようであるがこの付近にはかつて鉱山があったらしく、逆尾根にある扇野鉱山に関連するものだという説が強いらしい。私はいつも遡行に夢中でこの場所には行った事がない。やがて如来堂の取り付き口付近になると、どこからか子供が戯れる声が聞こえてきた。ドロ濁りの本流で水浴びする家族連れの声であった。さすがに日曜日は谷も山も人が多い。

久しぶりに歩いた谷は、これほど美しい谷であったかと改めて感心するほどであった。
明暗を感じる日でもあったが心のアルバムに様々なワンシーンが焼き付け、私は谷を後にした。
第十四話 完
++ 鈴鹿と山釣りWeb Top ++
++ Next ++