[++ 箕川 ++] (みのかわ)  旧神愛知郡永源寺村:東小椋村に属した村
 御池川沿いの山間の道をしばらく進むと、きれいな箕川トンネルがあり、それを左に折れると村が現れる。袋状に隠れたような場所にあるが、昔から木地業が非常に盛んな村でもある。
  御池川沿いに佇むだけあって、村を象徴する木製の看板には『イワナと紅葉』の絵が描かれている。氏神は八坂神社、寺は永昌寺。記憶に新しい永源寺第二ダム建設の反対に、杠葉尾の村と並んで最後まで強い姿勢を保っていた村である。大正6年、政所〜箕川〜蛭谷間に車道ができ、大正12年には箕川まで馬車が通じた。村の外れに祠があり、その少し先に御池川を渡す小さな橋がある。そこから筒井峠へ出る道があり、林道が出来る前はよく使われたらしい。この村にも水田があった。
八坂神社 イワナと紅葉 箕川の風景

  [++ 蛭谷 ++] (ひるたに)  旧愛知郡永源寺村:東小椋村に属した村

 蛭谷、実に蛭の多い鈴鹿に相応しい名を持つ村である。高台に位置しているせいもあり、素通りすると在所が存在していると気付かない恐れもあるが「木地師発祥の地」として深い伝承を持つ村でもある。村の世帯数は半世紀前と、ほぼ変化はなく10軒弱であるが、氏姓はみんな小椋である。バス停付近に「ろくろ木地発祥の地」という標識が立っている。村内は非常に道が狭く、少し高地に位置している。
 
  村の中心に木地師の公文所と呼ばれる筒井神社があるが、昔はこの場所よりも少し奥まった筒井峠付近の山中に建立されていた。祭事の際、不便という理由から明治期に現在の場所へ移築されたらしい。現在も古びた木製の鳥居があり、中には石の台座に胡座をかいた惟喬親王像がある。 筒井神社は今も木地師の末裔が参拝に訪れる事も多い。面影を偲び、毎年7月には「惟喬親王祭」が開かれ、全国各地から木地師がやってくる。また、帰雲庵は木地師の本所と呼ばれている。神社には木地師資料館があり、予約が必要だが、一般公開もされており、正保4年(1647年)より明治15年(1882年)までの236年間で諸国45ヶ所木地師氏子狩帳32冊に五千人に近い木地師の名が記される貴重な民俗資料が残されている。筒井神社にも二つの能面が祀られている。
 数年前から予約制の御池川フライフィッシング専用管理釣り場が設けられている。蛭谷〜君ヶ畑に林道が開通したのは昭和16年の事。

筒井神社 惟喬親王像 蛭谷の風景 法華塔

  [++ 君ヶ畑 ++] (きみがはた)  旧愛知郡永源寺村:東小椋村に属した村
 蛭谷よりさらに上流へ二キロほど上がる。鈴鹿山麓、小椋村の最奥に佇む山里の香りが漂う村であり、蛭谷に並んで「木地師発祥の地」としての歴史を持つ村である。惟喬親王が小椋谷に隠棲された時は「小松村畑」と呼ばれていたが、親王が入山後「君ヶ畑」と改められたという。
  氏神でもある大皇器地祖神社と惟喬親王の住まいとされた高松御所(金龍寺)の社が建っており、御所には「日本国中木地屋氏神惟喬親王御廟所」という石碑があり、木地師の祖、惟喬親王の墓所が存在する。現在、永源寺が管理する金龍寺には元禄7年(1694年)より明治23年(1890年)までの197年間で諸国30ヶ所木地師氏子狩帳53冊に一万人に近い木地師の名が記される資料が所蔵されている。
 ここの社にも神宝として六つの面が祀られている。君ヶ畑という村名の起こりは、親王がこの地で没したことに由来しているという話もある。とにかく、この小椋村の一帯は惟喬親王に関わる事だらけである。
 
  木地師には大皇器地祖神社を根源地とする君ヶ畑派と、蛭谷の筒井八幡社を根源地とする蛭谷派の二派がある。村の最も奥手に政所小学校君ヶ畑分校があったが、数年前に廃校になり、現在は地元の協力を経て、ノエビア鈴鹿高山研究所になっている。昔は水田があったが今は見当たらない。村の入口付近には現在も茶畑が広がっており、若干の生産が行われているようである。
  君ヶ畑越えと称された道が御池川から分かれる小又谷の下流から伸びており、茨川林道が無き時代、釣り人も含め人々は、このノタノ坂を越えて茨川村へ入っていた。地元の老翁は君ヶ畑の村を「ごんじょばた」と呼んでいる。
   
 君ヶ畑の茶摘み詩  「ここで摘む茶が 秋田へ下る 秋田女郎衆に ふらりよか」
君ヶ畑の風景 大皇器地祖神社 茶畑 藁葺き屋根の佇まい

  [++ 甲津畑 ++] (こうづばた)  旧蒲生郡市原村に属した村
 鈴鹿山麓で最も歴史的足跡を感じる村である。千草越え、千種街道は甲津畑から杉峠、根ノ平峠を越えて千草の地へ至る山道で、古来より八風街道と並んで近江から山の産物、伊勢から海の産物と、伊勢と近江、京を結ぶ重要な交通路として多くの武士や町民行商人の往来で賑わった場所である。その重要な役割を果たしていたのが街道の麓に佇む甲津畑である。
  氏神は古い歴史を持つ藤切神社、寺は淨林寺。藤切神社は渋川を挟んで村の対岸に佇む。現在は小学校となっており、名残は薄いが、昔はその場所に甲津畑城があったと言われている。織田信長が宿をとったと言われる陣屋や馬をつないだという「駒つなぎ松」、また峠沿いには管理釣り場永源寺グリーンランド、歴史的足跡は信長が一命を取り留めたという「善住坊のかくれ岩」「桜地蔵尊」「塩津々古屋敷跡」「蓮如上人の御旧跡」またナラやシデの巨木が立ち並ぶ。

 甲津畑は後に永源寺町に加わったが、当時は蒲生郡市原村であった。永源寺の村と交流は薄く、言語を含む民俗慣習に関しても独特だったようである。和南、甲津畑、両村に城が築かれていた時代は互いに対立心が強く、市原村と永源寺村の違いなのか、お隣の和南とは婚姻関係はほとんどなく、村内婚が大半で、日野町西明寺、原の村落と若干の接触があったらしい。
  炭焼きが非常に盛んで、藤切谷や奥ノ畑谷、登谷等の谷筋には多くの炭焼き窯の跡が残っている。ここも山ノ神信仰が異色だった村である。山ノ神祭は1月7日、御神体は馬であった。馬や馬の蹄を縄で形取り、供えたらしい。
甲津畑村 藤切神社 甲津畑の風景

  [++ 和南 ++] (わなみ)  旧神崎郡永源寺村:山上村に属した村
 甲津畑の手前に位置する村、かつては千種街道の入口として栄えたのであろう。こちらにも城が存在し、相対していたようである。民俗風習などは隣接する甲津畑の村よりも永源寺村(山上村)の村々に沿っていた。蒲生郡と神崎郡、これほど近くの村同士でありながら、やはり風土は地に従うのかと感心してまう。
  山釣りでは、素通りするため、実際のところ深く風情は存じない。愛郷の森キャンプ場や池田牧場、などがある。氏神は雨乞信仰の強い多度神社、寺は昔の和南寺、現在は光明寺。
 
和南の風景   和南村

  [++ 相谷 ++] (あいだに)  旧神崎郡永源寺村:山上村に属した村
 以前は八風街道が中心を通っていたが永源寺ダム建設により、現在は松尾谷方面、永源寺ダムの奥手まで北側に続く湖岸道路がある。街道は明治25年に八日市−山上間が明治28年に山上−相谷間、明治40〜43年に相谷−佐目間が改修された。
  愛知川に沿った相谷隧道を過ぎると道路幅は徐々に狭くなる。この辺りもバイパス工事を予定しているらしく、永源寺バス車庫手前より山間部をショートカットし、愛知川を横断して現行の対岸を走るルートが予定されているようである。
 現在、付近には食堂や民宿が目立っている。 氏神の寺は宝珠寺。当時は相谷では農業用水は佐目子谷より引いていた。

  [++ 高野 ++] (たかの)  旧愛知郡高野村に属した村
 もともとは山上村に属する村だったようだが、行政上の都合で高野村と独立した。愛知川渓谷を挟んで対岸に佇む、紅葉の名所として名高い臨済宗永源寺総本山を入口に広がる在所である。八風街道からは橋を渡らねばならない。
  大正12年に山上〜高野間の紅葉橋が完成。氏神高野神社があり、堂後谷や辺りの山域は植林が目立つ。社の裏手からは堂後谷より日本コバへ上がる事も出来る。昔は高野城があり、歴史的な血生臭い殺戮がいくつも繰り広げられていたという。
 これも昔の話であるが、高野村との境界に武者ヶ谷という谷があり、その付近にバンナイという村があったらしい。炭焼きを生業としていたが、徳川時代に高野村との間で境界争いが生じ、彦根藩で裁判となり、その結果バンナイ側が負け、武者ヶ谷沿いまで退く事になったのだが、そのために炭焼きの材料になるトチ、ケヤキなどの木が得られなくなり、廃村になったという話が残されている。確か昔の民話に「武者ヶ谷の娘」という話があったような記憶があるが、武者ヶ谷というのが、どの辺り、またどの谷の事を指しているのかは、存じない。
 特産品で有名なものに永源寺こんにゃくがあるが、こんにゃくは当時から生産されていたらしく、辺りにはこんにゃくを製造・販売する店が会社が多い。愛知川漁業組合もこの在所にある。

※ 旧愛知郡永源寺村:東小椋村に属した村

茨川については、「鈴鹿の香る仙境茨川」で深く触れている。
 
九居瀬
黄和田
政所
箕川
蛭谷
君ヶ畑
茨川
世帯数
87
30
136
40
54
10
総数
434
143
545
165
45
229
44
238
71
252
87
22
123
23
196
72
293
78
23
106
21
氏姓
小杉、左近
野神、西村
小椋、白木
小椋、阿野
小椋
小椋、有馬殿
筒井
 ※ 昭和30年国勢調査資料による ※ 姓氏は当時の多いもの(敬称略)
 愛知川沿いの村々の当時の民俗、軌跡を辿るにあたり、伝承話など御協力をいただいた佐目、萱尾、政所、杠葉尾、高野、箕川、蛭谷、君ヶ畑、相谷、甲津畑の方々にお礼を申し上げる。参考文献は以下の通り。

 ※ 「愛知川谷の民俗」  著者:滋賀民俗学会  発行:滋賀民俗学会
 ※ 「鈴鹿山麓の民俗」  著者:伊勢民俗学会  発行:光書房

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